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命と向き合う日々

一月も今日が最終日。
月初には『お正月!』と盛り上がっていたのが
もう遠い昔のように感じます。

いつの間にか夕暮れが随分と遅くなっていて
東京地方では夕方五時でもまだしっかり明るいです。
自然は正直ですね。
この明るさが訳もなく心を和ませてくれるので不思議です。

釈阿理が両親の介護生活に入って今年で十年目。
このお店を始めて一年そこそこで介護生活が始まりました。

胃癌、脳こうそくと立て続けに患い、
脳血管性の認知症が残ってしまった父。
俗に言うまだらボケでして、
昨日は判らなかったことが今日は解ったり症状がまだらです。

昭和一桁の男性ですから、
解れば今度は『馬鹿にするな!』と激高する始末。

そのうち今度は母にピック症候群の症状。
今でいうところの『前頭葉側頭葉型認知症』です。

これがまた知能は落ちずに理性と記憶を失う厄介な症状。
一人っ子の釈阿理は一人で二人の介護を担うことになりました。

あれから十年。
一昨年母を見送り、今は父が末期的な状況に…。

87歳と高齢で、身体的にも厳しくなってくると、
何か不調が見つかっても、食欲が落ちて衰弱しても
『どこまで医療で面倒を見るか?』
という問題に直面します。

先週腫瘍マーカーが正常値の30倍という異常値であることが判明しました。
マーカーの種類から消化器系であることは解りますが、
どこで何が起きているのかは外からでは判りません。

既に検査自体も本人の負担になる状態。
食欲が落ち、貧血が進み、
明らかに『進行した何か』がある様子です。

既にいつ急変しても不思議ではない状態なのに、
それでも立ち上がろうとし、自分で何かをしようとする父。
生に対する執念、生きるプライドの凄味を見るようです。

 

父にどこまで何を伝えるか?
父はどこまで何を感じ取ってているのか?
相手を読むのは得意な釈阿理ですが、
それでも対応に苦慮しています。

米寿のお祝いには届かず逝ってしまいそうな父。
父の生きざまは何を伝えているのかな?
きっとこれも神仏が私に示してくれた課題なのでしょうね。

『老人の最後の仕事は次の世代にちゃんと死に様を見せること』
とある医師が書いていました。
釈阿理のパパはしっかりお仕事していますね(笑)。

しばらくは命と向き合う釈阿理です。

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