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七七ヶ日

父が逝ってから、もうすぐ四十九日の満中陰。
法要と納骨を行う予定です。

紫陽花俗に言う四十九日のことを、『七七ヶ日』と書きます。
これは7×7=49、七週間目の日ということです。
そして七七ヶ日だけではなく、
一七ヶ日(初七日)、二七ヶ日(14日)、三七ヶ日(21日、)
四七ヶ日(28日)、五七ヶ日(35日)、六七ヶ日(42日)、
七七ヶ日(49日)とあるのです。
これ、意外にご存じない方も多いようですね。

四十九日の法要が『命日から三ヶ月にわたってはいけない』という
風習もあり、五七ヶ日(35日)で法要と納骨をする場合もあります。
『三十五日は聞いたことがある』という方もあるかもしれませんね。

一般的にはこの七七ヶ日をもって忌明けとします。
人は亡くなると『中陰』というこの世とあの世の中間で六道輪廻を彷徨うとされ、この間に今生の裁きを受け、来世が決まるとされます。
そのために遺族は七日毎に供養をして、
その功徳で亡き人が赦されるようにと願うのです。

でも釈阿理が母や父を見送って感じたのは、少し違いました。

中陰は、この世の垢を落とし清らかな魂になる、そのためのモラトリアム時間のように感じます。
そう、釈阿理は魂性善説なんです(笑)。

肉体を離れることで、魂は自由になり、本来の無垢な姿に戻ってゆく。
そんな風に感じています。

かなりの頑固親父でやがん爺(中国地方の方言です)だった父。
それでも二七ヶ日頃から写真の表情が柔らかくなってきました。

睡蓮

たぶん物事の真理は中庸。
プラスマイナスゼロの完全なバランスこそ真理ではないかと思います。
だから魂もきっとその境地に帰ってゆく。

寂しさを感じるのは新たな環境への抵抗でしょうか、
共に過ごした時間を懐かしむ心のようにも思います。

時間は常に流れて諸行無常、変化こそ現世の常です。
今与えられた現実を、ただ受け入れて前に進む。
人って泣いても笑ってもそれしかできないんですね。
時間ってなんだか止められないランニングマシンみたい!(笑)。

さて、満中陰が過ぎたら今度は実家の片付けです。
これからは彼らの知らない時を、釈阿理は一人で紡いで行きます。

一瞬一瞬の命に感謝と愛を捧げながら・・・。合掌

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